2009年04月19日
岡山城特別講演会
日曜日は、山陽新聞社のさん太ホールで、講演会があったので聴きにいきました。
講演会といっても歯科関連ではなく、宇喜多秀家と関が原合戦についてというものでした。
宇喜多秀家は、備前岡山の戦国大名で秀吉に寵愛されて五大老にまでなった人で、岡山城を築き、山陽道を南下させて城下(表町界隈)を通るようにした現在の岡山の基礎をつくった人です。1時間半に亘る講演でとても興味深いものでした。 秀家は、関が原の合戦で敗軍し、35歳の時、八丈島に島流しされ、免罪されることなく84歳の生涯を終えました。
その講演のなかで九州の島津や広島の毛利は、西軍でありながら(毛利は長門1国になったものの、)存続が許されたのに、なぜ宇喜多は、おとりつぶしになったかという話がありました。 それまで一枚岩だった家臣団が豊臣秀吉の死後分断してしまって、宇喜多家自体が脅威ではなくなってしまったからということでした。
それは今の世の中の組織でもあてはまることで、みんなが一致団結しないとその組織はすぐにもろくも崩れ去るということです。 その点なかの歯科のスタッフは、団結力が強く、強い絆で結ばれているので安泰たと思いました。 そんなことを考えながらさん太ホールをあとにしました。


講演会といっても歯科関連ではなく、宇喜多秀家と関が原合戦についてというものでした。

宇喜多秀家は、備前岡山の戦国大名で秀吉に寵愛されて五大老にまでなった人で、岡山城を築き、山陽道を南下させて城下(表町界隈)を通るようにした現在の岡山の基礎をつくった人です。1時間半に亘る講演でとても興味深いものでした。 秀家は、関が原の合戦で敗軍し、35歳の時、八丈島に島流しされ、免罪されることなく84歳の生涯を終えました。
その講演のなかで九州の島津や広島の毛利は、西軍でありながら(毛利は長門1国になったものの、)存続が許されたのに、なぜ宇喜多は、おとりつぶしになったかという話がありました。 それまで一枚岩だった家臣団が豊臣秀吉の死後分断してしまって、宇喜多家自体が脅威ではなくなってしまったからということでした。
それは今の世の中の組織でもあてはまることで、みんなが一致団結しないとその組織はすぐにもろくも崩れ去るということです。 その点なかの歯科のスタッフは、団結力が強く、強い絆で結ばれているので安泰たと思いました。 そんなことを考えながらさん太ホールをあとにしました。


